難聴歴を振り返ってみる
子供の頃から難聴の疑いで母親によく大学病院に連れて行かれた。聴力検査をして、先生が耳を覗き込んでおしまい。いつも8,000✖️とかって書かれてた気がする。高音難聴て事だと思う。他の音はちゃんと聞こえてたような気がする。特に困った事はなかったけれど、音楽の授業で歌のテストがあると、あまりに音痴で泣けた。高音難聴のせいだと思いたい。
なんで治療もしないのに都内まで足を運んで診てもらうのか分からなかったけど、自分が親になってみると分かる気がする。
OL時代、特に変化はなかったけど、疲れたりすると時々耳がこもって聞こえが悪くなった。そんな時は具合が悪いといって会社を休んでいた。
40代になったあたりから少しずつ聴力が落ちてきたのかな。補聴器をつけてみたいと思うようになった。職場に声の小さい人がいて困る事が度々あった。
補聴器をつけると周りの音がうるさいけど、人の声が聞き取りやすくなって嬉しかった。
40代後半、何回かひどいめまいがあった。あとは夜中に目を覚ますとドライヤーのようなガーッという耳鳴りがする事があった。でも朝になるとなんともないのであまり気にしていなかった。
49歳の時、右耳の聴力が気づくくらい落ちた。同時にめまい、吐き気、寒気、起き上がることもできず、仕事も辞めた。
でも3ヶ月後には、復活してスーパーで働き始めた。その後、左耳聴力が低下、数ヶ月後には右耳が失聴した。
あまり振り返りたくなかったけど、ここ1年の聴力低下はひどい。